 |
2009年7月2日(木)
暑くなってくると、食欲がダウンしますよね。みなさんはどうやって乗り切りますか? 私はにんにくです。もやし、にんじん、ズッキーニ、とにかく野菜はなんでもナムルにしちゃいます。おかげで、もりもりご飯がすすみます。矢切には、家の前でとれたての枝豆を売る農家がたくさんあって、み〜んな味がちがいます。究極の枝豆を求めて、かたっぱしから試食している毎日です。食欲の夏、かも。
|
|
2009年7月1日(水)
今日から7月。今年が半分過ぎたんですね。早いわ〜。今年前半は、久しぶりにあたらしい曲があふれました。ラカーニャ夏公演でいくつか発表できそう。楽しみです。
|
|
2009年6月28日(日)
大島青松園コンサート、カンパのお願いです。今年で9回目になりますが、始まって以来、ずっと無料コンサートとしてやってきました。なぜ無料なのか。理由は2つあります。そもそも、だれに頼まれたのでもなく、100%私がやりたくて始めたコンサートだから。入所者のみなさんと島外のお客さんを区別したくないから。とはいえ、交通費や音響費など、経費はかかります。最初の数回で、私のポケットマネーだけではつづけられないことがわかりました。そこで、スタッフの提案で、カンパというかたちで、みなさまにご支援をお願いすることにしました。以来、毎年全国のみなさんからカンパをいただき、コンサートをつづけることができました。心からありがとうございます。赤字になる年もあるけど、次の年は黒字になったりして、なんとかやってこられました。コンサートを通して、ハンセン病を正しく理解する機会が与えられますように、ちがいをもつひとりひとりが交わる有機的な場が与えられますように、ハンセン病療養所の未来をともに考える場となりますように、趣旨にご賛同いただける方は、お志をいただければさいわいです。今年もすでにカンパが集まりだしています。「受け取った定額給付金の中から一部お送りします。お役立てください。」というメッセージには感激。ありがとう! いただいたカンパは、大島青松園コンサートのためだけに使います。去年まではコモエスタプレスで会計報告をしていましたが、休刊になったので、今年は特設サイトをつくって、ウェブ上で報告する予定です。郵便口座は、00110−0−667310 大島青松園コンサートを支える会。振込用紙を送ってほしい、という方は、メールでご連絡ください。すぐにお送りします。みなさまのあたたかいご支援、お待ちしています。
|
|
2009年6月26日(金)
8月29日(土)の大島青松園コンサート、入場整理券の一般受付が始まったばかりですが、もう残券わずかです! スタッフといっしょにうれしい悲鳴をあげています。お申し込みご希望の方はお急ぎください。また、整理券を入手後、何かしらの理由で行かれなくなった方は、必ずご一報ください。船の定員ギリギリいっぱい乗せたいと思います。ご協力よろしくお願いします。心配なのは水不足。深刻だと島に入れなくなる可能性もあるので、適度な雨を期待したいところです。♪アメ、アメ、フレ、フレ〜
|
|
2009年6月24日(水)
 いつも私にことばの刺激をくれる大事な友だちでフォークシンガーの中川五郎さんと、詩人の長峰利造さんを訪ねて、群馬県にあるハンセン病国立療養所栗生(くりゅう)楽泉園に行ってきました。「桜井哲夫さん」と言えば、わかる人もいるかもしれません。テレビでドキュメンタリー番組が放映されたりして、有名な方です。長峰利造というのは、最近になって使うようになった本名です。ハンセン病元患者のほとんどの方が、故郷の家族が差別を受けないように、入所時に名前を変えたり、籍を抜いたりしています。五郎さんはいまや大島青松園コンサートの常連として、毎年のように友情出演してくれますが、初めて大島でうたってくれたとき、長峰さんの《消印のない手紙》に曲をつけてうたってくれました。とてもいいうたで、感動しました。泣きました。ハンセン病元患者である入所者のみなさんも感激して、涙されていました。消印のない手紙を津軽の「文盲」のお母さんにあてて書くという内容で、せつないせつない詩です。でも、なぜか生きる力がわいてくる不思議な詩でもあります。五郎さんの素朴なメロディーと声が詩にぴったりで、聴くたびにいいなあ、と思います。早くCD化してよー、と催促するも、いまだかなわず。とりあえず、長峰さんに聴いてもらいたいね、ということで手紙をお送りしたら、いつでもどうぞ、ということになり、電車とバスを乗り継いで行って来ました。長峰さんは84歳。視力を失い、声帯を冒され、両の手もありません。不自由なはずの長峰さんの第一印象は、とても自由な人、でした。簡単な自己紹介をしたところで、五郎さんがギターで《消印のない手紙》を弾き語ってくれました。長峰さんは、「うん、うん」とうなづきながら、じっと聴き入っていました。6畳ひと間の宇宙で、時空が止まったかのようでした。音楽の力ってすごいなあ。すばらしい演奏でした。ずっとずっと聴いていたかったです。別れ際に、五郎さんと私、それぞれのアルバムを渡して、「私たち、茨木のり子の詩をうたっています」と言ったら、「おれは茨木のり子や高田敏子を読んで、詩を書きたいと思った。男の詩はあまりいいのがない」とおっしゃったのには、思わず五郎さんと顔を見合わせて、笑ってしまいました。短い時間だったけれど、お会いできてよかった。朝から降りつづいた雨も、帰りには青空になっていました。長峰さんは、熱心なカトリック信者で、ローマに出かけてローマ法王に謁見し、頭をなでてもらった写真を何度も見せてくださいました。五郎さん、緊張したことでしょう。作者の前でうたって。私も五郎さんの前でうたう《三十才の子供》や《自分の感受性くらい》はいつもドキドキなのよ。《消印のない手紙》、いつか私もうたえるといいな。(写真:山嶋久美さん)
|
|
2009年6月22日(月)
徳島の明美さんからの質問です。「沢さんのカバー曲で一番好きなのは、夕暮れ。甲本ヒロトさんってどんな人ですか?」わー、うれしいなあ。私もあれは名カバーだと思ってるんだけど、なかなか言ってくれる人いなくて(笑)。ありがとう! 甲本ヒロトさんは、伝説のパンク・ロック・バンド、ザ・ブルーハーツの中心メンバーで、解散後はザ・ハイ・ロウズを経て、現在はザ・クロマニヨンズとして活動しています。ブルーハーツについては、私が語るより、ウィキペディアとか検索した方がくわしいと思うので、見てみてください。あと、なんでもいいので、アルバムを聴いてみてください! ちなみに、《夕暮れ》は〈DUG OUT〉にあります。私がブルーハーツにちゃんと出会ったのは、北海道の栗山で。10年くらい前かな、友人で全盲の牧師黒多 健さんが当時栗山教会にいて、泊まりにいったときのこと。温泉つかって、おいしい日本酒飲んで、すっかりいい気分になったところで、黒多さんからひとこと。「沢さんには、もっと情景が目に浮かぶようなうたをつくってほしい」。目の見えない黒多さんに言われて、ドキッとしたのを覚えています。そして、オススメとしてその場でかけてくれたのが、ブルーハーツ。もちろん《リンダリンダ》とかは知っていたけれど、アルバムを聴くのは初めて。ノックアウトされました。東京に戻って大急ぎでCDをかき集め、ブルーハーツを聴きまくる毎日。そうして出会ったのが《夕暮れ》です。好きなうたは他にもたくさんあるけど、いまのところ私のうたにできたのは《夕暮れ》だけ。うたうたびに胸がキュ〜ンとなります。ブルーハーツのまっすぐなエネルギーが好き。さりげないけれどたしかなメッセージが好き。大好きです。いつかこのうた、夕暮れどきに野外コンサートでうたってみたいなあ。
|
|
2009年6月21日(日)
松山であったうれしい再会。10年前、松山大学の大学生として、「まぜごはんの会」とともに私のコンサートを企画してくれた「やんちょ会」の4人娘が、手づくりのアルバムをつくってくれました。その名も「アワ・ベスト・沢 知恵」。4人は同じゼミで従軍慰安婦問題に出会い、韓国のナヌムの家に行って、その後の人生に決定的な影響を受けました。いまはバラバラの地にいて、今回会えたのは一人。母になった人、大工になった人、うたの道に励んでいる人、韓国とのかかわりを軸にこれからパートナーとカナダで生きていこうとする人。アルバムには、それぞれの迷い、悩み、苦しみの10年と、そのときどき彼女たちのかたわらにあった私のうたがつづられています。夜ホテルに戻ってゆっくりアルバムをめくり、深い感慨をかみしめました。「♪こわがらないで、あなたのままでいい、生きること、それだけで美しいから(それだけで美しい)」。なぜか自分のうたが鳴り響いたりして。いっしょうけんめい生きてきた4人はそのままで美しい、と思いました。歳でいうと、たった6つ先をゆく私だけれど、あなたたちの励みになるのであれば、うれしいわ。私だって迷い、悩み、苦しんできたし、いまもそうよ。これからも心にやんちょ(韓国語で灯火)を絶やさずに歩んでいきましょうね。一歩、一歩。ありがとう!
|
|
| <<戻る さかのぼる>> |